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マゾでもいいじゃないか 1km/hくらいでのんびり 恒星塵 紫と愛と飯 ヽ( ・∀・)ノ みおまお&れお成長日記! ふがふがふが~? めろーいえろおおおおおおお 碧、はじめます 人生そんなもんです 綺麗なお姉さんが好きですが? こんにちはブリタニア エキサイト以外のブログ
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幼い頃、母が怖かった。
今はもうすっかり老け込んでしまったが、 俺の母はとても芯の強い人で、幼い頃の俺にとって本当に怖い存在だった。 悪いことをすれば鬼のような形相で叱られ、 ひっぱたかれたことも一度や二度ではない。 「怖い父、優しい母」 そんな昭和後期の家庭のイメージは、俺の家には無かった。 むしろ父は、無関心かと疑いたくなるほどの放任主義で、 今思い出しても不思議なくらい父に叱られた記憶が無い。 少年だった俺にとって、誰よりも母が怖かった。 ・・・・・・・・・・・ 小学3年生の夏。 知り合いの家族を交えて、みんなで海水浴に行くことになった。 たしか、うちを含めて3世帯くらいだったと思う。 家族ぐるみの付き合いがあり、 俺と同じくらいの歳の子もいて、当時はよく遊んでいたものだ。 仲の良い子供たちをみんな一緒に海に連れて行ってあげよう。 そんな親心があったのだろう。 その頃スイミングスクールに通っていた俺は、 得意とは言わないまでも、同世代の子供よりは泳げるほうだった。 しかも今回は初めての海である。 薬くさいプールで単調に泳ぐのではない。 広くて波のある青い海で自由に泳げるのだ。しかも友達と! もう本当に楽しみで、当日が待ち遠しくてたまらなかった。 両親におねだりして、東急ハンズで、 膨らますとカメの形になる大きなビニールボートを買ってもらった。 小学生が3人くらい乗れそうな本格的なやつだ。 嬉しくて嬉しくて、早く海に浮かべたくて仕方なかった。 毎晩、折りたたんだままのボートを枕元に置いて眠った。 母はそんな少年を見て、 「ボートもいいけど、忘れ物しないでよ」 と呆れたように言うのだった。 海水浴当日。 空は雲ひとつない青空だった。 海の家だか旅館だか思い出せないが、 畳敷きの広い部屋で、他の子たちは思い思いに着替え始めた。 少年は真っ先にカメのボートを膨らまし始めた。 小さなポンプはあったが、小学生がひとりで膨らますには少々つらい。 着替え終わった子たちは我先にと外へ飛び出していく。 そんな中、少年はひとり黙々とボートを膨らまし続けた。 やがて部屋には誰もいなくなった。 ずっと楽しみにしていた海水浴。 時間が惜しかったし、少年も初めての海で早く泳ぎたかったが、 徐々に形になっていくカメのボートを見ると心が弾んだ。 みんなが泳ぐのに飽きてきたころに、 このボートを持って登場すればボクはヒーローだな。 クスクス笑いながら、 少年は独りぼっちの部屋でポンプを押し続けた。 やがてカメのボートが完成した。 想像通りだった。 小学生が3人くらい余裕で乗れる、立派なボートである。 みんな羨ましがるに違いない。 少年はワクワクしながら、さっそく水着に着替えようとした。 しかし、いくら探しても海水パンツが見つからない。 あれ、おかしいな・・・ 少年はハッとした。 「ボートもいいけど、忘れ物しないでよ」 あのときの母の言葉が思い起こされる。 まさか。 小さなリュックサックである。中を見ればすぐに分かる。 忘れてしまったのだ、本当に。海で泳ぐために最も必要な物を・・・ うそだ・・・うそだ・・・。 頭の中で自分の声がぐるぐる廻った。 そのとき誰かの視線を感じた。 恐る恐る顔を上げると、 いつの間にか母がそこに座っていて、じっとこちらを見ていた。 少年は必死に動揺を抑え、リュックサックに手を突っ込み、 海水パンツを探すふりを続けた。 そのときの少年がどんな顔をしていたのか。 きっとこれ以上無いくらい、みじめな表情だったのだろう・・・ 母は大きくため息をつくと、何も言わずに部屋から出て行った。 少年の目からは大粒の涙がこぼれ落ち、畳を濡らした。 悔しかった。 誰のせいでもなかった。 あんなに楽しみにしていたのに、海は目の前にあるのに、 泳げないのだ。自分のせいで。 外からは微かに子供たちの楽しそうな声が聞こえていた。 何日も前から楽しみにしていたのに・・・ カメのボートのことで頭がいっぱいだったのだ。 少年に命を吹き込んでもらったビニール製のカメは、 黙ったままそこに座り、少年を待っているように見えた。 ごめんね。一緒に泳げなくてごめんね。 カメのボートは無機質な笑顔で少年に微笑んでいた。 海水パンツが無い。 ボクだけ泳げない。 なんで忘れたんだろう。 どうして忘れたんだろう。 ボクも泳ぎたかった・・・ 誰かの足音が近づいてきた。 慌ててリュックサックに手を入れる少年。 母が部屋に入ってきた。 少年は泣いていたのを悟られないように顔を伏せると、 あるはずがない海水パンツを探し続けた。 母が静かに近づいてきた。 怒られる・・・! 少年は身を強ばらせながら、 リュックサックを覗き込んだまま目を上げようとしない。 母は少年に見えるように、買ってきたばかりの海水パンツを差し出した。 ・・・・・・・・・・・ ずっと後になって、母にこのときの話をしたことがある。 母は「全然覚えていない」と言った。 家族で海に行くなんてそう何度もあることではないし、 俺がこれだけはっきりと覚えているのに・・・ 一向に思い出してくれない母に苛立つ俺。 そんな俺に、母は言った。 もしそういうことがあったとしても、 いちいち覚えていないよ。 母親っていうのはね、そういうものなんだよ。 7年前に起こした俺の親不孝が原因で、精神に障害を負った母。 肉体的にもすっかり老け込んでしまった。 俺に残された最後の親孝行、それは孫の顔を見せてやることだろうか。 残念ながら、それがいつ果たされるのかは不明だが・・・ どうかそれまで元気でいてくれ、と願うばかりだ。 最近の若い人は、親の話をしたがらない。 親の話をするなんて恥ずかしいこと、格好悪いこと。そう考えているように見える。 自分ひとりの力で産まれて来たとでも言うのだろうか。 十ヶ月もの間、自身の体内で命を育んでくれた母。 そんな偉大な存在をどうして蔑ろに出来るのか。 「自分には親なんていない」 という発言は人として最も罪深いものだと俺は思っている。 携帯電話の使いすぎを咎められて母を殺した息子。 新しい夫との生活に邪魔だからと幼い子を殺した母。 こんな悲しい現代に生きる身として、 俺は俺の母親に心から言える。 「産んでくれてありがとう」と。
by m-ayatsuji
| 2005-07-14 20:25
| 思い出話
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